新市長へのプレゼンと旧市民球場跡地問題のその後 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話
新市長となった松井一實とは何者か? 東日本大震災があった年として、多くの日本人に記憶される2011年。この年の4月10日に統一地方選挙が行われ、広島市議会議員選挙と広島市長選挙が実施されている。新しい市長に当選したのは、自民党と公明党の推薦を受けた松井一實。それまで3期、市長を務めていた秋葉忠利が立候補しなかったため、12年ぶりの市長交代となった。
松井は1953年生まれで広島市出身。京都大学法学部卒業後、当時の厚生省(現・厚生労働省)に入省し、2011年まで官僚としての職務をまっとうしている。一方、前任の秋葉は1942年生まれで東京都出身。東京大学大学院、マサチューセッツ工科大学で数学を学び、国会議員(社会党〜社会民主党)を経て市長となった。
県外出身者から地元出身者へ、元学者から元官僚へ、そして革新から保守へ。新しい市長は、前任者と出自もキャリアも政治的スタンスも真逆であった。それゆえ、旧市民球場跡地に新スタジアムが建設されることを夢見た人々は、新市長の松井に密やかな期待感を抱いた。が、そうした淡い期待は、あっさり裏切られることとなる。
就任した年の10月、松井は「旧広島市民球場跡地委員会」を設置している。だが、市民や議会の声に耳を傾けながらも、最終的には「緑地広場機能」を優先。さらに新スタジアム建設地については、旧市民球場跡地ではなく広島みなと公園がある宇品を強く推したため、サンフレッチェ広島との平行線はぎりぎりまで続くこととなった。
そんな松井市長のスタジアムに関する発言で、明らかな「失言」と思われるものが少なくとも2つあった。すなわち、2012年の「3回優勝したらスタジアムを考える」発言。そして2013年の「(サンフレッチェが優勝するとスタジアム問題が切迫するから)2位でいい」発言である。
このうち後者については、12月3日とはっきりしているのだが、前者については当時の報道を探しても日付を特定できなかった。おそらく、メディア不在の中での「内輪の発言」だったと思われる。果たして、松井市長の真意はどこにあったのだろうか。
広島市の広報を通じて確認を求めたところ《クラブやファンを始め、広島のサッカー界を盛り上げるための発言であった。》という回答が文書で送られてきた。
今でこそサンフレッチェが勝利したら、クラブ会長の久保允誉と喜びあうようになった松井。だが、市長就任からしばらくの間は、新スタジアム建設を熱望する人々にとって、まさにラスボス感満載の敵役のような存在感であり続けた。